統計学という学問があります。ネットで調べると、現象の集団的把握を目的とする学問、集団的現象を観察し分析する方法を研究する学問などと解説するものがありますが、その統計結果を利用して、あるいはその結果を分析・加工して行政活動に利用したり政策立案に利用したりする場合があります。
このようなことから、統計法第1条は、「この法律は、公的統計が国民にとって合理的な意思決定を行うための基盤となる重要な情報であることにかんがみ、公的統計の作成及び提供に関し基本となる事項を定めることにより、公的統計の体系的かつ効率的な整備及びその有用性の確保を図り、もって国民経済の健全な発展及び国民生活の向上に寄与することを目的とする」と定めています。したがって、政府による統計調査の結果そのものが誤りであった場合、時には国民生活に重大な影響を及ぼしかねない結果を招く可能性もあり、また、誤った統計結果を前提にすると、国民が政策判断の選択を誤ってしまうという民主主義社会にとって由々しき事態を招きかねないことにもつながります。最近、厚生労働省が行う「毎月勤労統計調査」において、従業員500名以上の事業所の全数を調査すべきであるにもかかわらず、約3分の1の事業所しか調査していなかったケースが明らかにされました。これは、東京都における調査が、2004年から約3分の1の事業所に限られてしまったため、他の地域より給料が高い東京都の事業所の比率が少なくなり、本来の正しい調査をした場合と比較して平均賃金などが低くなってしまうという事実が明るみに出てしまったものです。その後、政府は、他の政府統計についても不適正な調査があったことを明らかにしましたが、行政が事務を執行するための前提である統計に不正があったり、政策判断をする前提となる統計に不正があるということになれば、国民は何を信用すれば良いのか大変困惑してしまいます。 近年、このような行政組織が機能していないケースが目立っています。公平、公正に法に基づいて執行されるべき行政が歪められている、あるいは歪められているのではないかというケースが目立ちます。最近では、森友問題や加計問題などが大きく取り上げられましたが、その政治責任はまったく問われていません。自浄能力を喪失していると評価されてもやむを得ないことだと思いますが、国民の立場に立ってみればそれで済ませられるものではありません。今年は、統一地方選挙の年であると共に、参議院議員選挙の年でもあります。国民が、現在の状況について審判できる年ですので、その権利を有効に使いたいものです。