いわき市内のY会社に自動車整備工として雇用されたXさんは、平成29年10月26日、作業現場である東京電力福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」という)の廃炉作業の敷地内で倒れて帰らぬ人となった。
Xさんは、Y会社に平成24年3月に自動車整備工として入社し、当初から原則として月曜日から金曜日まで福島第一原発事故の廃炉現場において車両整備等の作業に従事していた。そして、福島第一原発での仕事がある日は、毎朝午前4時30分ころにはY会社の事務所に出社し、会社の指示に従ってタイムカードを打刻し、体温や血圧などの測定を行って社用車ないしは修理のために福島第一原発から持ち帰った作業車両で福島第一原発に行っていた。
福島第一原発では、Xさんは、個人線量計の装備や防護服の装着、KY(危険予知活動)、ミーティングなどを経て、その後第一原発敷地内にある整備工場に入り実作業に就いていた。昼の休憩を挟んで午後3時ころまで福島第一原発の敷地内で就労し、その後いわき市内のY会社に戻り、夕方6時頃まで働いていた。
このように、Xさんは、平日はいわきと福島第一原発の間、100キロメートル以上の移動を余儀なくされると共に、福島第一原発では高濃度の放射性物質が飛散する敷地内で蒸し暑くて重い全面マスク、ヘルメット、防護服、ゴム手を着用しての重装備で、車体の下に潜ったり、エンジンルームに体を入れたりしながら車両の整備を行っていた。全面マスクは、呼吸を圧迫し、心筋への負荷を高め、十分な給水も行うことができる状況にもなかった。このような作業環境は、Xさんにとっては、過酷であった。
Xさんの労働はそれ自体が非常に過酷であったが、それとともに、Xさんは福島第一原発での作業も含めて長時間に及ぶ労働を強いられていた。関係者の調査によると、Xさんが亡くなる直前の180日間の時間外労働は1ヶ月平均110時間を超え、亡くなる直前の90日間の時間外労働が1ヶ月平均103時間以上、亡くなる直前の30日間の時間外労働が114時間を超えていた。
このため、Xさんの遺族は、労基署に過労死による労災申請を行い、労基署においても亡くなる直前180日間の月平均時間外労働を98時間、死亡前30日間の時間外労働は100時間を超えていたと認定せざるを得なかった。
労働者は、その労働を提供するにあたって、自らの健康や命を犠牲にしていいと考えているわけではない。その労働が危険な内容を含むものであったとしても、あるいは必要やむを得ないものであったとしても、健康を損なわずに安全に働くことが出来るという前提で労働を提供していると言える。他方、雇用者等は、その指揮命令下で労働に従事する人の安全や生命身体に危害が及ばないよう安全配慮義務を負っている。
今回は、Xさんの過労死に対して、Xさんの遺族は、指揮命令等を行っていたと見られるY会社ら事業者に対する責任追及と、高濃度の放射性物質が飛散する敷地内における救急医療体制に責任を負うべき東京電力等の責任を追及して、2019年2月13日に福島地方裁判所いわき支部に損害賠償請求の訴訟を提起した。責任追及は始まったばかりであるが、風化もささやかれる原発事故後の過酷な廃炉作業やこれに関連する作業の中で惹起した過労死等に対する責任の所在を明らかにする訴訟であり、関心を持っていただければ幸いである。