愛知県で開催されている芸術祭「あいちトリエンナーレ」の中の企画展「表現の不自由展・その後」が展示中止となるなど波紋を広げています。事実経過を踏まえて,「表現の自由」(憲法21条)について改めて考えてみたいと思います。
(事実経過)
「あいちトリエンナーレ」とは,愛知県や名古屋市などの自治体と企業・団体などで結成した実行委員会が主催する国際芸術祭で,3年に一度開催され,今年(2019年)は8月1日から,愛知県内の各会場で様々な企画展やイベントなどが行われています。
その中の企画展「表現の不自由展・その後」は,「政治的に意見の分かれる題材を扱っている」などの理由で公共施設での展示拒否などがされた美術作品を集め,拒否の理由とともに展示することによって,表現の自由について考えるきっかけにすることを趣旨とした企画展だったとのことです。
この企画展の展示作品の一つであった「平和の少女像」(従軍慰安婦をモチーフとした作品)について,8月1日に,河村たかし名古屋市長が展示を問題視する発言をし,翌2日には展示を視察後,「どう考えても日本人の、国民の心を踏みにじるもの。いかんと思う」と発言し,作品の展示を即刻中止するよう愛知県知事(実行委員長)に求めると表明しました。ちなみに,河村市長は,芸術祭の主催者である実行委員会のメンバーでもあります。
また,菅義偉官房長官は,同日の記者会見で,この問題について,「文化庁の補助事業として採択されている。…補助金の交付決定では事実関係を確認,精査した上で適切に対処していきたい」と発言し,補助金の引き揚げすら匂わすような発言をしました。
このような中,8月3日に芸術祭全体の実行委員長である愛知県の大村秀章知事が記者会見を開き,放火等を匂わす脅迫FAXなどが届いていることなどに触れて,安全確保ができないことを理由に,「表現の不自由展・その後」の中止を公表しました。
(国や自治体による表現への介入)
まず,指摘しなければならないのは,河村市長や菅官房長官らの発言が,国や自治体(公権力)による表現の自由の侵害にあたりうるものだということです。両氏は,いずれも芸術祭が公金の補助によって行われていることを理由の一つとして展示を問題視する発言をしています。これは,一見すると,「公金による補助をもらって芸術祭を行っている以上,口出しをされても仕方がない」ととらえられるかも知れません。しかし,文化芸術基本法では,基本理念として「文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し,文化芸術活動を行う者の自主性を尊重する」と定められ,国や自治体はこの基本理念にのっとり文化芸術振興策を実施することとされています。裏を返せば,国や自治体が個々の表現内容に立ち入って補助するかどうか決定するようなことは,表現者の自主性を妨げ表現の自由への介入となるので,してはならないということです。河村市長や菅官房長官らの発言は,控えめに言っても,文化芸術基本法の理念に反するものといわざるを得ないでしょう。
大村知事は,河村市長の一連の発言に対して,表現の自由の観点から強く批判をしていますが,これは,芸術祭の実行委員長として,また行政担当者としてまっとうなものといえます。河村市長の発言は,そもそも表現の場それ自体を奪うことを求めるものであり,市長の立場で公権力を担う者として,また,芸術祭実行委員会メンバーとしても極めて不適切です。
(展示中止の判断をめぐって)
他方,上記のように,大村知事は,トリエンナーレ全体の実行委員長として「表現の不自由展・その後」の中止を発表しました。その理由として,「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」などの脅迫が実行委員会事務局に寄せられたことなどをあげ,主として安全確保の面から中止を決定したと説明しています。
ただ,展示中止の判断について,誰がどのように判断したかについては十分に説明されておらず,不透明感が残る結果となりました。芸術祭の主催者として,参加者等の安全確保ができない場合に中止という判断に至ることそれ自体はやむを得ないとしても,展示中止以外の安全確保策をどの程度検討したのか,実行委員会の会合が開かれたのかなどについては明らかでなく,最終的には脅迫に屈する結果となったのではないかという疑問が強く残ります。
(表現の自由を守るために)
憲法21条は,表現の自由を保障し,表現に対する公権力の介入である検閲を禁止しています。憲法が表現の自由を強く保障するのは,表現の自由が,国民の議論により政治のあり方を決めるという民主主義の基本にかかわる権利だからですが,それだけではありません。表現の自由という権利はきわめて傷つきやすく,ひとたび傷ついてしまうと,後から回復するのが困難という性質を持つ権利だからです。例えば,国が,自分たちに都合の悪いことについての言論や表現を禁じたり,表現行為を妨害したりすれば,国民がそれらの言論表現に接することができなくなります。また,「このような表現をすれば,脅されたり不利益を被ることになるのではないか」と感じた人が自ら表現を差し控えることにもなりかねず,言論や表現が萎縮してしまう危険もあります(萎縮効果などと呼ばれます)。
もちろん,表現の自由も全く無制限ではなく,表現にともなって他の人の権利や利益を侵害することは許されません。従軍慰安婦や近隣諸国との関係については,国民の間でもさまざまな意見があり,河村市長が言うように,展示物を見て不快感を覚える人もいるでしょう。しかし,今回のケースは美術展の展示なのですから,自分が不快感を覚えるような内容の展示は見ないという選択もできます。自分にとって気に入らない展示だからといって,脅迫をするようなことは,最終的には,表現の自由の萎縮を招き,自分で自分の首を絞めることにもなりかねません。
「あなたの意見には反対だが,あなたが意見を述べる権利は命をかけて守る」という言葉が,表現の自由の本質を指すものとしてよく引用されます(ヴォルテールの言葉と言われていますが,異論もあるようです)。表現行為に対する公権力による介入や圧力が許されないことはもちろんですが,私たち市民の側も,表現の自由を守るためには,自分とは異なる立場の人の意見や表現に対し,ある程度の寛容性が必要ではないでしょうか。