憲法25条の生存権を実現するための制度であり,「最後のセーフティネット」と呼ばれる生活保護ですが,2013(平成25)年以降,数年にわたって段階的に,支給額が大幅に減額されてきました。これに対し,生活保護利用者が,大幅減額は違憲違法であるとして,全国で減額の取消しを求める訴訟を提起しています(いのちのとりで訴訟)。この訴訟について,今年(2020年)6月25日,名古屋地裁で全国初の判決がありました。
生活保護基準については,厚生労働大臣の諮問機関である社会保障審議会の生活保護基準部会で専門家等による検討がなされ,これを受けて厚生労働大臣が基準を定めることになっています。厚生労働省は,今回の生活保護基準引き下げについて,物価下落を反映させる「デフレ調整」などのためだとしています。名古屋地裁での審理では,当時の生活保護基準部会長代理が証人として出廷し,基準部会で「デフレ調整」が議論検討されたことはなかったことを証言していました。また,「デフレ調整」のための物価下落率についても,それまで採用していた国際標準方式ではなく,厚生労働省が新たに作り出した方式で恣意的に決定されたことが明らかになりました。
名古屋地裁判決は,結論的には,生活保護の支給基準については厚生労働大臣の広い裁量権が認められるとし,大幅減額については厚生労働大臣の裁量権の範囲内であり適法であるとして,原告らの請求を棄却しました。名古屋地裁判決がこのような結論を導いた理由の一つが,自民党の政策や「国民感情」でした。自民党は,2012(平成24)年12月の衆議院選挙の結果,当時の民主党政権から政権復帰しましたが,この衆議院選挙で「生活保護給付水準の1割削減」を公約していました。こうした公約を掲げて自民党が選挙に勝利したから,生活保護費の減額は国民の意思を反映した正当なものだったというのです。名古屋地裁判決は「…自民党の政策は,国民感情や国の財政事情を踏まえたものであって,厚生労働大臣が,生活扶助基準を改定するに当たり,これらの事情を考慮することができることは…明らかである」と述べています。
しかし,生活保護法は,生活保護基準の決定にあたって考慮すべき事情について「要保護者の年齢別,性別,世帯構成別,所在地域別その他保護の種類に応じて必要な事情」としています(生活保護法8条2項)。「国民感情」や与党の政策を考慮できるとはされていません。名古屋地裁の判決は,生活保護法の解釈を誤ったものと言わざるを得ません。
また,そもそも,生活保護制度は,憲法上の基本的人権である生存権(憲法25条)を直接実現するための制度です。生存権が憲法上の基本的人権であるということは,政治的多数の意見(例えば国会の議決)によっても,不当に奪うことができない権利であることを意味します。名古屋地裁の判決は,憲法の解釈についても重大な問題をはらんでいます。憲法が保障する生存権は,「健康で文化的な」最低限度の生活を営む権利です。ただ生きることができればよいというものではなく,人間らしい生活ができる水準のものでなければなりません。全国各地の訴訟では,原告となった生活保護利用者の人たちが,「生活保護を利用してから,趣味も人付き合いもせずぎりぎりの生活をしているのに,大幅に生活保護費が減らされて,これではただ生きているだけ,人間らしい暮らしはできない」という悲痛な訴えをしてきましたが,裁判官がこうした訴えをどこまで真剣に受け止めているのか,疑問の残るところです。
これを読まれている方の中には,「自分は生活保護を受けずに頑張っているのに…」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし,生活保護水準は,生活保護を利用していない方にも大きな影響があります。例えば,住民税の非課税限度額,最低賃金の水準,就学援助の基準など,様々な制度の基準が,生活保護水準を参照して決められています。生活保護水準が下がれば,これまで就学援助を受けることができた世帯が就学援助を受けられなくなってしまうということが起こってしまいます。生活保護基準の引き下げは,他の様々なセーフティネットを狭めることにつながり,決して「他人事」ではないのです。
名古屋地裁判決に対し,原告の方たちは控訴しています。他の裁判所でも訴訟が続いています。「健康で文化的な最低限度の生活」を全ての人が送ることができるためにどうすればよいか,各地でいまも続く「いのちのとりで訴訟」に関心を寄せていただければと思います。