2011年3月11日午後2時46分、過去に経験したことのない大きな揺れに襲われた。当事務所の弁護士や事務員は、ある者は机の下に、ある者は外に逃げ出した。上を見ると、電線はちぎれんばかりに大きく波打ち、事務所の壁はピシッと大きな音を立ててヒビが走り、空はみるみると暗くなり雪が降り注いできた。
この東日本大震災は、東京電力福島第1原子力発電所をも襲った。大きな津波にのみ込まれた原発は全電源喪失となり、1号機3号機4号機はそれぞれ水素爆発により建屋が吹き飛び、大量の放射性物質を大気中に放出した。この原発事故は、最悪の場合、東日本全域が居住できないというようなシミュレーションもたてられるほどの過酷事故となった。
あれから10年、福島県は未だに復興したというにはほど遠い状況にある。多くの住民が避難生活を続け、すでに帰還することさえ諦めてしまった人も多くいる。また、福島県の農産物は基準をクリアしていて安全と言われているが、人々の安心を得るまでには至らず長年にわたって風評被害にさらされたままである。
県内で行われた除染作業により排出された除染廃棄物については双葉・大熊に跨がる地域に設置された中間貯蔵施設に搬出作業が継続中である。この中間貯蔵施設に運び込まれた廃棄物は2045年3月までに県外で最終処分することを国は約束しているが、その道筋はまったく示されていない。
東京電力は、福島第一原発の廃炉を早々に決定したが、第二原発の廃炉については廃炉を明言せず、2019年7月にようやく廃炉を決定した。過去にトラブル隠しや記録の改ざんという不正を行った東京電力、過酷事故を起こせば取り返しのつかない結果を招く危険な原発稼働させる資質が備わっていないと言われても仕方がない東京電力の廃炉の決定は遅すぎた。
廃炉作業は現在も続いている。燃料デブリの取り出しはまだまだずっと先の話である。そのような中、2月13日には福島県沖を震源地とする最大震度6強を記録した地震が発生した。このような大きな地震はこれからも発生するだろう。そして、福島県民はそのたびに放射性物質の排出はないかと不安に苛まれる。