初回のシリーズは「私が弁護士を志すきっかけ」です。今後、定期的に掲載していく予定です。ご期待ください。
私が宇宙の研究者になる夢を、弁護士へと変えたのは高校2年生、1960年の秋でした。
小学生の頃は、義民佐倉惣五郎の伝記を読んで感動し、中学生の頃には、冒険小説「海底2万マイル」を読み、胸をどきどき、はらはらさせ、外国航路の船に乗り、世界を巡りたいと夢をみていました。
中学生の頃には「尊敬する人は誰?」との問いに「アルベルト・シュバイツアー」と答えていました。ご存じの通り、シュバイツアーは未開地アフリカのジャングルで医療活動に携わると共に核・平和問題を中心とした反戦運動の活動をしました。
シュバイツアーが、1952年ノーベル平和賞を受賞し、彼についての様々な情報が社会に溢れました。中学・高校生であった私もそれらの情報を進んで読みました。その献身的な医療活動や核兵器反対などの平和運動は、私に“人はいかに生きるべきか”の道を示していました。
1960年6月は、日米安保条約の改定時期であり、私は、郷里郡山から上京し東京の高校で物理学者を夢みて学んでいました。その高校は、安保条約に反対する社会党の委員長の母校でした。ところがその浅沼委員長が暴漢に襲われ刺殺されたのです。
それは、私にとっても一大事でした。私は、学者への道を進むべきか暴漢の意図した理不尽な行為・目的を阻止するため弁護士となって平和を守り、弱者の立場に立った活動をすべきか、決めねばならないと思ったのです。
そして、1960年秋、弁護士への道を進むことを決意しました。(H.A)